負けなければ、強くなれない

囲碁に2種類の打ち方がある。相手の弱点を攻める打ち方、自分の弱点を守る打ち方。
NHK選手権で結城聡十段が2連覇している。結城十段の打ち方を見ると相手を攻める打ち方を一貫してずーっとしている。この間の名人戦の予選でも、相手の弱点を責める打ち方をしていたが結果としては負けていた。
この二つ、NHK杯と予選の差は持ち時間の差。NHK杯は早碁、予選のほうは3時間の持ち時間。
相手の弱点を攻めるという戦略は、早碁において有利に働く。しかし、相手の攻めへの対処をじっくりと考えられる場合、攻めが失敗すると戦略の転換が必要になり不利になる。

とはいえ、自分の特徴というものを把握してどんな戦略をとるか考える必要がある。結城十段の場合、相手の弱点が良く見えるという特徴が、たぶんあるんだろう。そのため、攻撃的な碁を打つのだと思う。

前の名人戦で、山下元名人が、井山名人に負けたのは有利な場面で複雑な方向へ碁を進めたためだと解説されていた。組み合わせゲーム理論でも、自分が不利な時には、相手の選択肢が多いほうへ進むべきで、まぎれの多い碁を打つのは戦略的に悪い。


昔、中学生の頃、碁を打っていたが学校には自分よりも強い人は全くいなく、負けるという体験をほとんどしなかった。そのため、どんどんと負けるということが怖くなってきた。なぜ、勝ちたいのかというと、負けるのが怖いからで、そのストレスを抱えながら碁を打つのは非常につらい。
したがって、そのストレスから逃れるために勝ちを急ぐ。結果、先をよく見ずに負ける。そのころには人と打つということ自体がストレスになり、囲碁から遠ざかるようになった。

初めて体験した挫折だが、今から考えると自分の弱さをよく表している。また、その弱さを乗り越えられなかったからこそ、進歩できなかったということもわかる。すなわち、負けなければ自分の弱さが分からない。勝ち続けるだけでは、今ある勝てる方法を常に再現し続けるだけで何の進歩も生じない。

正直、そのことに気付いたのはここ数年。負けることに、失敗することに価値があるなんて、当たり前のことに気付けなかったため弱くなりすぎた。囲碁において、ここまで強くなった自分を認めて自信を持つことができなかった。自分の弱さを晒しただけなのではないかと思っていたが、最近ようやく変わってきたと思う。
また、負けると悔しいが、自分がした努力以上の努力を、対戦相手がして、自分を負かせたという事実は、驚嘆に値する。自分がした努力は、自分が一番よく知っている。それ以上の努力をして、自分に対して弱い点を教えてくれる相手というものは貴重で常に感謝しなければならない。

努力すれば必ず挫折するが、その挫折こそが自分の弱い点を指摘する。それを乗り越えれば一段階進歩するということで、努力することは無駄にならないという、暑苦しい話。