プロ棋士やスポーツ選手はどう考えているんだろう?

プロの考え方が知りたくて、前に将棋指しの羽生さんの本を読んだことがある。

決断力 (角川oneテーマ21)
羽生 善治
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う〜ん、正直、悪い。なんていうか、ただの思ったことが書いてあって、ただの日記みたい。
どうして、こういうことが重要なのか、経験を踏まえて説明してくれればいいのだけど、ただこう思った。だから、これが重要である。そんな風な書き方がしてある。

普段、技術書や数学書みたいな本ばっか読むので、どうしてこういうことが重要なのか、どうしてこう考えるのか、根拠が示されている。つまり、説得力のある文章になっている。

囲碁の本を読んでいると、次はこう打つ。なぜなら、この伸び切った姿がいい形だからだ。みたいな、あいまいな表現をされることがある。初めのころ、まったく理解できなかった。なので、ただ真似する。そうすると、だんだんとその感覚が身についてくる。という、非常にあいまいな感じで、囲碁を習得していった。

こういう風に説明されるのは、囲碁の考えが、イメージをフル活用されて考えられているからではないかと思っている。なぜなら、言語化しなくても盤面または頭の中でプレイすれば、見えるからだ。
つまり、言語で考える必要がない。

こう考えると、囲碁や将棋って、他人に考え方を伝える方法がまだまだ未熟な気がする。ここに数学のような分析、統合の考えを使えば、囲碁の原理原則っていうの探せそうな気がする。

囲碁の本を読んでいると、著者がそういう経験から学んだ原理原則を使っていることがある。だけど、読者との経験の差から初心者に理解できなくて、熟練者に理解できるという差異が起こっている。

また、囲碁の原理原則っていうのが、言語化されればコンピュータ囲碁にも応用ができそう。先を読まずに、原理原則にのっとって考えられるからだ。読みが浅くても、いい手が打てそうに感じる。

こういう他人に伝える方法が未熟な分野っていうのは、人間の感性や感覚を使う分野に多くありそう。たとえば、スポーツ選手。体を使って感覚的な理解をするため、やればわかる。


なんというか、捉えどころがあいまいな話になってしまったが、デカルト以来に始まる分析と統合の考え方と、人間の感性、感覚をうまく合わさった方法を習得すれば、スポーツなども今より高みに登れるのじゃないかなぁという妄想で、それをするには、数学の哲学を学んだらいいのじゃないかなぁという話だった。